なぜ日本の英語教育は「This is a pen.」なのか
公開日: 2016年4月9日土曜日
This is a pen.
うわさの日本英語教育が誇るこのフレーズ。
そもそもなぜこれが定型文で用いられているん
ですかと皆さん疑問に感じたり
することはないでしょうか。
今日文房具でペンを購入した際にふと思い返すようにこの疑問にぶち当たりました。
日常で使う場面が全く浮かばないこのフレーズをなぜ呪文のように唱えるのか。
今の自分も中1の自分にもこの英語を学ぶ意味が全く分かりませんでした。
トム、お前これがペンだと見て分からないのかwwww
・・・・・・は!まさかトムのやつ、、、!、、、、目が、、、、見えないのか・・・・??
いやでも確かに思い当たる節はあった。久美も「はいそうです。」
とか普通に返事してたし、トムの目だけ黒目が塗られてなかったし、、、。
...そうか。「This is a pen」は。
日々当たり前と思っている健康への感謝を忘れない大切さ、障害者への気配りと対等な接し方、
これらを包括的に学ぶためのものだったんですね。先生!
といった内容を回答欄右余白に書いて授業態度評定を一つ下げられる理不尽を被ったのは筆者だけではないはずだ。
フレーズ考案者の気持ちを知るため文房具屋に赴き、「これはペンですか?」と日本語で試して、
「うんペンだけど、どういう意味?」と怪訝な顔をおじさんにされ、「あ、いや、何でもないですぅ」
と店外に逃亡したのは筆者だけではないはずだ。
それから幾年も経過したが、いまだに「This is a pen.」を使う機会に恵まれたことはないし、
このフレーズの存在意義も分かっていない。
なぜ日本語教育が「This is a pen.」なのか。
関心意欲態度の評定を下げられる心配のない、グーグル先生に問いただしてみた。
「be動詞、冠詞、代名詞、thの発音。これらが全て詰まったフレーズだから。」
とのこと。
こんな理由で納得できるわけがない。ペンである必要性がないからだ。
探求心に揺り動かされたその足を図書館に向けた俺はとうとう答えにたどり着いた。
その答えは
福沢諭吉
にあった。
今回は「This is a pen.」が日本の英語教育の柱となった背景と福沢諭吉の関連性を記述していきたい。
福沢諭吉といえば、一万円札の図柄であることや『学問のすゝめ』で有名だ。
しかし彼の歴史人としての功績は
「幕末期の日本においていち早く西洋思想を取り入れたたこと」にある。
福沢は開国間もない日本において、欧米の文化を学びそれを日本に広めることを使命として掲げていた。
このことは『西洋事情』という著書を記していることからも分かる。
文明的に遅れていた日本の中で先進的にグローバルな視点を持ち、文化として普及させることに一翼を担ったことが彼の功績である。
自身が海外で得た思考をさらに拡大すべく福沢は「適々斎塾」通称、「適塾」という塾を開いた。(※現在の慶應義塾大学の前身)
結論からいうと、「This is a pen.」はこの適塾で生まれたものだ。
ある日の福沢はお役所に提出するために書をしたためていた。
福澤の特徴的だった点は、筆を使わずボールペンを用いていたところである。
海外でボールペンに出会った福沢はペンなどというものはまだ誰も知らない時代に
「これほど便利なものはない。これからはペンの時代だ。」としてボールペンを愛用していた。
当時の日本で使用されていた紙には、ボールペンの相性が悪く、ペン先をひっかけてすぐに紙を破っていたが、
それでも頑なにボールペンを使用していた。
この日の福沢は資料の内容をうまくまとめられず紙もすぐに破き、ペンを床に投げつけるほどに苛立っていた。
近くにいた適塾の門下生が驚きつつも福沢が投げたものを拾い上げ、福沢に語りかけた。
門下生「お疲れ様です、先生。いつになく苛立ってますね。はい、今投げつけられた物をお持ちしましたよ。」
福沢「ああ、すまないな。なかなか資料がまとまらなくてね。集中したいから少し離れてくれないか。」
門下生「相変わらず大変そうですね。ところでその今使われているものそれは一体何ですか?」
福沢「それ?それとは何だ。」
門下生「それですよ、それ。筆のようなものです。」
福沢「ああこれか。これはペンだ。」
門下生「ペン??ペンって何ですか?」
福沢「ん?ペンはペンだろう。ペンとしかいいようがない。」
門下生「それじゃ分からないです。教えてくださいよ。ペンってなんですか?」
門下生の素直な質問が、このときばかりは間が悪く福沢の逆鱗に触れてしまった。
福沢「うるさい!!!これはペンだ!!ペンと言ったらペンなんだ!分かったらさっさと部屋から出てけ!!!」
普段見せない福沢の怒りを見せられた門下生は、慌てふためき一目散に部屋を飛び出した。
怒鳴り散らした後、福沢は自身の理不尽を反省した。
ペンという知らないで当たり前のものを知ろうとした姿勢を頭ごなしで否定してしまったことを猛烈に後悔した。
一晩かけて考えを整理した福沢は翌日、適塾での英語の授業で片手にペンを持ち生徒に語り掛けた。
無論、昨日怒鳴り散らした門下生も含まれる。
福沢
「君達。私が持っているものが分かるか。分からないか。そうか。これはペンという。This is a penだ。」
「これからは西洋文明の時代がやってくる。あらゆるものの西洋化が進むだろう。今ある筆もこのペンに取って代わられる時代がすぐそこまで来ているんだ。」
「もう侍の時代は終わる。欧米列強に追いつき追い越さなければならない。これからは学問の時代だ。」
「学ぶ姿勢を忘れるな。ペンは剣よりも強し。もう一度言う。This is a penだ。さあ、英語の授業を始めよう。このThis is とは~・・・」
そう。このように「This is a pen」は。
福沢の照れ隠しから生まれたものなのだ。
以降、適塾の英語の授業で「This is a pen.」が用いられるようになり、これが日本全国に広まり今に至る。
ちなみ現慶應義塾大学の校章にペンが用いられているのは、この時の話が元である。
怒鳴り散らされた門下生が福沢のために作成したのだ。
福沢は門下生に謝り、苦笑しつつも心から感謝して校章に採用したそうだ。
これが日本英語教育に「This is a pen」が採用されている理由である。
という話がさっき俺がカレーのためのジャガイモを切りながら考えたフィクションだってこと位、初めの2行目から5行目に不自然な改行と不自然な日本語縦読みで「うそです」って書いてあるし、頭のいい読者の皆さんなら最初から分かってましたよね。
もし信じた人は罰ゲームでシェアしてくれたらマジ時間無駄にしてたなーって今後の自身の戒めになるからおすすめ。
今日もゆとりですいません
oy
あ、俺の中学時代と福沢諭吉の適塾まではホントです。